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俳優として舞台に立つとき、いつも観客の視線と壁とのあいだにプレスされる想像をする。すると、震えが起こる。この震えは、舞台において制御すべき震えであるかもしれない。しかし、外界に身体を差し出し、その力と力のあいだでわたしという身体の生命が震えるとき、そこにはたしかによろこびのようなものが立ち上がる。他者の力と自己の力が拮抗する界面に現れる、きわめて具体的な生の現象。この震えが現象する力の界面を探ることで、むしろ震えるために人前に立ってみたい。
わたしは、かつて引きこもりだった。外界からの圧力=プレスに屈し、撤退した身体である。しかし、その身体が望むのは、フェティッシュともとれるプレスへの憧憬である。わたしは自らの身体を改めて外界に晒し、「わたし」と「世界」の力の界面をたしかめ、そのあいだにプレスされて震えたいのである。他者の視線にプレスされ、声を出そうとするたび声帯がプレスされ、身体が震え出してしまうことを、風に吹かれて震える葉のような現象として捉えたい。同時に、わたしが望むプレスと、わたしたちを押しつぶす社会的圧力のあいだには、一体どのような界面が存在する/しないのだろうか。
《プレスされて震える》
パフォーマンス(30min)
パフォーマー 吉田萌 花形槙
記録映像 波田野州平
2025.11.05-09 15:00/20:00 @脱衣所
グループ展『datsuijo 剥き出しの喪 Bare in Mourning』










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