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過剰なまでの外部化、あるいは内圧によって/露出する突起


 

 人間というよりはベッドの付属品だった過去の地点で、わたしの身体は外界から切り離され、とにかく巨大で重い塊のすべてであった。身体が弾け飛ぶ想像を繰り返す。肉片が散らばる。それはとても自由な形態だった。外側へ飛散する。窓のむこうの、道路の、走り続ける車のタイヤと触れ合い、だれかの頭の上に、学校のグラウンドに、海に。

 

 あるとき、窓のむこうの大通りを車が走るたびに、部屋の天井にひかりが差し込むことに気がついた。そうすると、わたしの巨大な身体はそのひかりとなって、何の意味も持たなくなった。わたしがいてもいなくてもそこにありつづける「あるもの」の存在、身体の外側に無数に広がっている外側によって身体が正しい大きさを手に入れる、という以上に果てしなく小さくあるいは透明に、外側になっていくよろこび。官能。そのとき、わたしははじめて、世界と。

 

 わたしは外へ出た。「みられる」ことによって、わたしの身体に表面があらわれた。表面は強張り、震えている。限界を超えて、ついにはち切れる。びたびたと風に吹かれて震える葉を思わせた。それは紛れもなく生命のよろこびであった。わたしは他者に「みられたい」と願うようになった。そのようにして、停滞した身体を関係の最中に投げ戻す。震える表面は、常に生成される「あいだ」であり、世界とあいだに生成し続ける、〈震える場〉のことである。そこでは、統合された自己のようなものは意味を成さない。震え続けるのである。

 

 これは回復ではない、さらに肉片になっていくための実践である。わたしの実践は、運動するあらゆるものたちへの愛である。過去のある地点が現在形へと運動しつづける。その最中で、あらわれつづけるのだ、ある瞬間的に、生きられる身体が。そのためには、はち切れないといけない。限界までパンパンになって、はち切れる!次へ、次のからだへ。できごとへ。あらわれへ。はち切れる。張りつめた表面を突き破り、露出した突起がまだ触れられぬ表面としてあらわれる。その表面は、はじめて風に晒され、震えている。


​吉田萌
 
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