top of page
スティルライフ.jpg
不確かなメディウム、想起とエコロジー  


帰省したとき、実家にとって嫌な思い出の象徴だと思っていた家具がリビングに平然と置かれていた。母はそのことを、しらないといった。
そのとき世の中に存在した事象の真実はだれの身体のなかにもない。身体という不確かなメディウム、その穏やかさ。忘却の穏やかさ。わたしたちは忘れ、それゆえに想起し、あらゆる解体と建築の風景に身を任せていくのである。なにより、メディウムは変化する。歳を重ね、記憶を重ね、環境は移ろうのだから。 

エドワード・リードは記憶を「内的な状態の活性化ではなく、環境に出会う特別な形式」といった。想起するということは、想起を介して環境と接触することであり、想起とは能動的に発達する生きもののようなものだという。 

この想起について、戯曲を立ち上げる前にワークを行った。「経験した家や街」についてのテキストを三人の俳優がそれぞれに書き、他者のテキストをリーディングする。次の稽古までに、その他者のテキストを自分のテキストとして書いてきて(自分のテキストも他者によって書かれ)また、他者のテキストをリーディングする。そのときのテキストの一部が、今回の戯曲のなか組み込まれている。
自分/他者の記憶する身体を他者/自分の身体に取り込む。それは共感などではない。自分の身体のなか抱えもつ記憶が異なる身体性を手に入れる。環境にひらかれ、接触し、記憶は生きもののように推移していくのだ。 

家と実家が年々べつのものになっていくこと。老いゆく祖母の引っ越しと卒業するわたしの引っ越しが重なる。この部屋に前住んでいたひと、次住むひと。すべてのよろこびをしったのがこの家だとして、それはどこにいくのか。解体と建築を繰り返す街の、なにかがいたはずの無数の層のようなもの。推移しつづける生きものであるわたしたちは、層のひとつに過ぎない面を遮蔽しながら、次の面のあらわれへと動きつづける。しかしその面が受けていた光のことを、おぼえていたいとおもう。



『スティルライフ』

2022.01.13-16 10:15開場、10:30開演 90分
武蔵野美術大学鷹の台キャンパス 旧ガラス工房
 
作・演出  吉田萌
出演    石田ミヲ 宮城茉帆 吉田萌
衣裳    宮城茉帆
戯曲協力  石田ミヲ 宮城茉帆
演出助手  鈴木信太朗
記録撮影  笠原颯太
宣伝美術  高橋温大 笠原颯太
スタッフ  飯盛翔太 小島亜佑子 平田円理 藤巻汐梨
協力    武蔵野美術大学空間演出デザイン学科 鈴木康広 上條桂子 suzuki seminar 8th
スティルライフ2.jpg
bottom of page