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​靴の話からはじめたい(想像力のために)

 

 祖母は亡くなる半年前、母のいる福岡へ祖父とともに引っ越してきた。祖母名義で借りたそのアパートを先日解約し、⻑い時間を過ごした京都の一軒家も解体され、祖母の過ごした家はこの世から消え去った。旅行で京都に赴いたとき、もうここにはわたしの帰る場所はないのだということをしって、ひどく驚いた。現在、祖父が暮らす老人ホームの一室の窓の向こうには、福岡の都市開発の風景が広がっている。祖母を失ってから母や祖父は遺影に身体を向けながら食事を摂る、思い出を語り出す。彼らにとっては「今ここ」にあるものより、失ったものの方がずっと多いのだ。しかし、失われた物事をあたかも目の前のことのように生き生きと語る彼らの姿は、「今ここ」にありながら現実の外側へと想像によってひらかれ、またその想像する力に対して疑いがない。その力の身体をみたときに(ちょうどその時期ギヨーム・ブラック特集に通ってたくさんのヴァカンス映画を観ていたこともあって、もしくは行き帰りの飛行機で窓外を眺める自分の身体と重ねて)まるでヴァカンスに出ているようだと思った。この状態を、ポジティブで能動的な力の状態として考えたい。そうしないと、わたしたちはもう生きていけないのではないか。

 

 本クリエーションは、城崎国際アートセンターの2024年度アーティスト・イン・レジデンス プログラムにおいて一ヶ月にわたる滞在制作を行った。途中1週間はメンバーと合流し、『ないものの話をしながら土をこねる』というワークショップも行った。このワークショップでは、「かつてあった・もうないもの」の話をしながら土をこねてもらう。自らの語りを、次は他者が語りなおしながら土をこねる、その交換を繰り返す。主にこのワークショップで出てきたエピソードや手つきから『ヴァカンス』の上演は立ち上げられている。語りの交換にまつわるワークは、様々な形式で繰り返してきた。前作『スティルライフ』(2022)では、これを書き言葉によって行い、戯曲の中に組み込んだ。このとき考えていたのは、個人が抱え持つ記憶を他者との交換によって環境化していくこと、つまりは他者によって他者化されることで自分をなるべくとおくへ放ってしまいたい、そのための翻訳のワークであった。しかし今回はじめて、自分の語りを他者に語り直されたときに「なんだか嬉しくなりますね」と言ってもらえた。お気に入りだった靴も、大好きだった幼馴染も、家も、同じ想像力のなかにあった。他者の語りを大事に語り直すために、確かめるために自分の語りがあった。このワークがこのようなよろこびの質を持ったことは、わたしにとってとても大きな変化だった。

 

 もうひとつ忘れてはならないのは、竹野との出会いである。はじめて竹野に訪れたのは、ワークショップでこねられた土を野焼きしたときだった。野焼きに使う石を借りに猫崎半島に赴き、山陰海岸ジオパークを歩いた。目の前に広がる地質遺産の何千万年にいたる地球のアーカイブと、語られた時間や手のアーカイブである土のオブジェクトたちの質は、スケールは違えど似ているような気がした。同時に個々人の暮らしの積層でもある竹野という土地。たくさんの人に案内されながら竹野に通うなかで、世の中に存在する様々な伸び縮みのなかを滞在中、彷徨いつづけた。最後の日、車で送ってもらうことの多かった竹野への道を自力で行ってみたくなり、KIACのママチャリで県道9号を走ろうとしたものの、ものすごい上り坂で結局1時間くらいママチャリを押しながら歩いた。たしかに山を越えていることがわかった。終わることのないように思えた道が、トンネルを抜けたら一気に下り坂。わたしは風を受けるためだけに存在していて、その先には竹野浜があった。帰ってきて電車に乗っていたら、靴のなかに竹野浜の砂が残っていることに気がついた。わたしが運んだ、わたしがいたから運ばれた竹野浜の砂。わたしは、わたしが生きていてよかったとほんとうにこのとき人生ではじめて思えたかもしれなかった。わたしがいない一ヶ月の間も存在していたアパートの一室に帰ってきてからも、とおくで存在している竹野の海と人のことを想像する。

 

 この身体があるからはじめられることがたくさんある。自分の身体の当事者性からひたすら逃れようとするのをやめてみたい。傷つきたくないから感覚を鈍らせようとするのをやめてみたい。演劇の想像力といえる力の、想像したり記憶する身体自体の疑うことではなく信じる力。自分の手元にあるちいさな単位からはじめてみることができれば、わたし以外の誰か、ここ以外のどこか、国、出来事、身体の外側に無数に広がっているとおく離れたもののことを、考えることができるようになれるかもしれない。そして経験した喪失というものが、そういったことのきっかけになれるのだとしたら、その想像の力というのものが、喪失したものに出会いなおさせてくれるのだとしたら、今ここに運ぶことができるのなら、わたしはわたしが持っているすべてのものを信じてみたい。

 

 このクリエーション中に出会ったすべての人、ものに感謝します。本日はご来場いただき、ありがとうございました。


​吉田萌
 
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